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2022

​思い出せないかもしれない

​      町

 駅までの道沿いに工事車両が入っている。木の板で枠を作って、数日すると駐車場ができていた。
 夫が「ここ、前はどんなだったっけ」と言う。「ずっとシャッターがおりていたけど、上にキンミヤのロゴの跡があったじゃない。酒屋してるのは見たことなかったけど」「そんな建物、あったっけ」。
 夫は、見てそれを忘れていたのか、それともずっと建物のことは気にとめていなかったのか。

 新しいお店ができたときなど、その前はなんだったのか思い出せないことは自分にもよくある。
 いまの景色に上書きされて、以前のものが記憶から消えているのだろうか、それともはじめから覚えていなかったのか。
 だれの記憶にもないものは、もともとなかったことになるのか。

(画像をクリックすると大きくご覧いただけます)

​      箸

 数年前のことだ。地方にいる両親が、観劇がてら東京に来るというので一緒に食事をすることになった。結婚記念日が近い。しゃれた雑貨店で螺鈿細工のついた揃いの箸を包んでもらった。

 その日渡すと母は、「あら、富士山。いまの家からは見えないんだもの、うれしいわ。ぴかぴかね、富士山。帰ったらお箸、すぐ下ろそうね、お父さん」と喜んだ。

 数ヶ月して帰省すると、両親は食卓に塗りの剥げかけた古い箸を並べている。「ねえ、この間のお箸、使ってないの?」「なんのこと?富士山?そんなの、もらったっけ。ないよねえ、お父さん」「うむ」

 すっかり忘れているのである。

 

 動転した。手渡した贈り物を、喜んだ記憶が、ない。会話を、覚えていない。わたしが一人で、勘違いしていると言いたげだ。思い出せないというより、そもそもなかったことのようだ。

 箸。品物が、ない。もしかすると、あの日は本当に、なかったのか。

​      傘

 しばらく会えていなかった友人から、誘いの連絡があった。出かけられるようになったのだ。

 この前会ったのは、1年よりもっと前だ。彼女の暮らす海辺の町を訪ねた。

 陽が傾いて、見送ってもらう単線の電車が走る駅ちかく、ポツポツと雨が落ちてきた。雨粒を受けた彼女の肩は小さく見えて、このまま溶けてしまうのではないかという思いに私は慌てた。

 あのとき何か、言えたのだったか。

 

 久しぶりの友人は、変わらずに笑った。そして別れ際、折りたたみ傘を差し出した。

 「あのとき、貸してくれながら『ホケン』って言ったでしょ」「『ホケン』・・・。雨がひどくなったときの、ね」「だけじゃないでしょ。このまま会えなくなる気がしたんでしょ。私がどこか行っちゃいそうに見えたんでしょ」

 繋がりを引き留めるにはなんとも、拙い言葉ではないか。

 今日。手を振りながら横断歩道を渡って行った友人に、私は今日、どんな言葉をかけたのだったか。

​      角

 高校は、卒業してから訪ねていない。校舎をどうしても見たくなって、最寄りの駅を降りた。

 駅舎は新しくなっていたが、賑わう商店街はそのままだ。右手に折れれば、その先を左へ、そしてまっすぐ。三年間通った道だ。その後も、瞼の裏で、何度も歩いた。

 ところが、曲がり角が見つからない。見当をつけて折れた道も、また住宅が並ぶばかりだ。歩いては角を曲がり、歩き、繰り返して、仕方なくスマホを取り出した。

 

 明け方に見た夢の、教室は歪んでいた。木の机が壁際に小さく並び、文化祭の装飾は高く天井を支えている。制服のリボンを握りながら私はただ立っている。

 

 たどり着いた校舎は、思っていたよりとても背の高い並木に囲まれていた。講堂に入る階段も、渡り廊下も記憶のままのようでいて、なんだか広い。

 毎日、夢中になって喋っていたのは何のことだったろう。

 校門を出て駅へと戻りながら、校舎を振り返った。

 帰る曲がり角は、どこだ。

​      何

 忘れるってなんだろう。

 見たもの、思ったこと、忘れたくなくて書き記す。書いてもやがて、忘れている。大事な景色を写真に撮る。画像を見ても何を残したのか思い出せないことがある。

 フランスのある作家は、「多くの忘却なくしては人生を生きていけない」と言ったそうだ。学者は「忘れないと覚えられない」のだとも言う。

 それでも、思い出そうともしていないことが、風の匂いや夕日を照り返す木の葉に浮かんでくることがある。初めて来た町で、聞き覚えのある声に振り返ることがある。

 なぜだ。

 

 私が思い出したいものは、なんだ。

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